人気漫画『キングダム』にて圧倒的な武力を持ち、新三大天の座についた司馬尚。
番吾の戦いにおいては完全に司馬尚の武力頼みで盤面を描いた李牧。
そこには司馬尚の武力と知力、青歌兵からの厚い信頼があるからこそ信頼し任せた作戦だったと思います。
そんな全てを備えた司馬尚の最後がどうなるのかが気になっている方もいらっしゃるかと思います。
そこで今回はキングダムで圧倒的な武力を持つ司馬尚の最後がどうなるかの予想、史実においては死亡の記録があるかの調査結果をお伝えしたいと思います。
以下の構成で進めたいと思いますので、気になる部分からお読み頂ければと思います。
キングダム司馬尚の最後はどうなる?
史実をもとにしながら、原泰久先生独自の世界観で描くキングダムにおいて、新三大天の一人である孟将司馬尚の最後は遠くを見つめる司馬尚と『青歌で官を剥ぎ取られ、二度と戦場に出ること無くその生涯を閉じた』という様なコメントにて描かれると予想しています。
史記『趙世家』においては紀元前229年に『李牧、誅せられ、司馬尚、免ぜられる』と記されており、『藺相如列伝』においては『司馬尚を廃す』と記されているとから分かるように、司馬尚は三大天と青歌の城主の席を剥奪されています。
これは番吾の戦いで大敗を喫した秦は李牧と司馬尚のいる趙に真っ向勝負しても勝ち目がないと悟って、暗君である幽繆王お気に入りの重臣であり、李牧の朝敵でもある『郭開(かくかい)』を買収するように、離間の計、いわば買収工作を仕掛けた結果になります。
大国秦軍に1度のみならず2度も大敗北を味合わせた李牧と司馬尚に対して、自分に忠誠を尽くしていると感じていない幽繆王は、二人が揃ってクーデターを起こそうとしているという郭開のデマを簡単に信じてしまいます。
そのデマより幽繆王は李牧と司馬尚を王都に呼び出しますが、李牧が反対し王都に出向かなかったことから、尚更クーデターを信じて、刺客を放ち李牧を捕らえて誅殺していまいます。
同罪とみなされた司馬尚が更迭で済んだことは、主犯が李牧であると判断したことによるのかもしれません。
そんな状況の司馬尚の最後だから、趙から魏へ、魏から楚に亡命した廉頗と同じような最後の描かれ方をするのでは無いかと予想しました。
キングダム司馬尚の最後は秦との戦いではない?
キングダムの世界においては人とは思えないほど巨躯の司馬尚。
新三大天の座を手にした男だけあって、圧倒的な武力を持っています。
そんな司馬尚が最期を迎えるとしたら、秦との激戦により李信の会心の一撃か?と想像した方もいらっしゃるかもしれませんが、そうはならないと思っています。
紀元前229年に三度、秦は趙征伐に向けて、番吾の戦いで大敗北を喫した王翦を総大将として進軍します。
ここでも李牧と司馬尚が王翦軍を迎え撃つので、またも李牧&司馬尚軍と王翦軍との戦いが描かれるのですが、史実からすると、この戦いにて離間の計が発動しますので、戦の途中で李牧が連れ去られてしまうことが予想されます。
その状況を知った司馬尚は、趙のために必死で秦の侵略を防いでいる自分や李牧を罰しようとしている朝廷に嫌気がさし青歌に引き返して、王翦軍に王都邯鄲までの道を開けるのではないかと予想しますので、司馬尚は秦軍との大戦で最期の時を迎えることは無いと思われます。
ただ、李牧が捕らえて誅殺されそうなシーンは鄴攻略の場面でもあったので、李牧最期の時を前倒しして描き、この戦いで信が李牧と司馬尚を討つ!という描かれ方も実はあるのではないかと勘繰っているのも事実です。
キングダム司馬尚の最後で青歌軍はどうなる?
司馬尚率いる青歌軍の豪傑たち。
肥下の戦いでゼノウにやられた上和龍と番吾の戦いで糸凌に討たれたジアガを除いては、第一将のカンサロや第二将の楽彰やフーオンなどの強者たちが残っているので、そう簡単に青歌軍が敗れることは無いと予想されますよね。
ただ、この強者たちはあくまでもキングダムの世界での将軍達で、史実においてその名が残ってないので、彼らの最期はどのようにでも描かれるので妄想は膨らむところですね。
司馬尚が更迭された際、あの性格がぶっ飛んだ幽穆王のことなので、司馬尚を暗殺することが予想されます。
その手段は卑劣そのものなので、いくら戦場で強い青歌軍の将達もなす術がなく討ち取られてしまう可能性もあるかと思います。
キングダム司馬尚の最後と趙の最後はどちらが先?
司馬尚が更迭されるのは紀元前229年の出来事で、趙が滅亡するのはそれからすぐの紀元前228年の話となります。
史記である趙世家や藺相如列伝、秦始皇本記など、どこにも司馬尚が死亡したことは記されていません。
藺相如列伝では司馬尚が更迭されて3ヵ月後に趙が滅びたというようなことが記載されていますので、司馬尚は趙が滅びた後に天寿を全うしたのではないでしょうか。
司馬尚の死亡の記録が史実にある?
司馬尚の記録は史実においては少なく、趙世家、藺相如列伝ともに紀元前229年の司馬尚が更迭されたことが最期でそれ以降の記録が無いので、司馬尚の死亡に関する記録はありません。
まぁ、趙がその翌年に滅亡してしまうので、それより先に趙の記録を残そうとした人がいなかったのかもしれませんね。
司馬尚が更迭されて、その後に暗殺などされいない限りは一般市民として、天寿を全うした可能性は高いと思われます。
あの人間離れした肉体の持ち主だけに、寿命も人一倍長く、秦王政が成し遂げた中華統一とその後の秦の法治国家体制を恨みつつ、この世を去った可能性もあるかと思います。
まとめ
以上、キングダムに登場する司馬尚の最後がどうなるのかについて紹介させて頂きました。
新三大天の司馬尚は紀元前229年に三度侵攻してきた秦軍を李牧と共に迎え撃ちに出陣しますが、その途中で秦の離間の計により、郭開のデマにより謀反の罪を問われ、官を剥奪されてしまい表舞台から姿を消します。
史実にも司馬尚が死亡した記録が無いので、司馬尚は自分と李牧を失った趙があっさりと滅亡したことや、秦が中華統一を成して面白きことなき世を憂いて、静かにこの世を去っていったのかもしれません。
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