キングダム番吾の戦いとその後は?史実も含めて今後を予想!

キングダム
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コミック発行部数が1億冊を突破した大人気漫画キングダム。

毎回ながら1つの戦いにおいて、各シーンをドラマティックなものにするために、1つ1つのセリフもこと細かに描かれていて、ついつい感情移入しちゃいますよね。

より多くのシーンで過去からの伏線が盛り込まれたり、急に出てくる過去を描いたシーンに、この先に何かあるはず!と手に汗握りながらワクワクしてしまうのも、キングダム(原泰久先生)の凄さだと思います。

そんなキングダムのコミック最新刊(2024年9月時点)では『番吾の戦い』が描かれています。

その『番呉の戦い』が終わったらその後はどうなる?という方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

そこで今回はキングダム『番吾の戦い』とその後がどうなるかを史実も含めて、どう描かれていくのかネタバレを含めて、予想した内容をお伝えしたいと思います。

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\キングダムと別視点での春秋戦国時代/

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キングダムにおける番吾の戦いはどうなった?

『番呉の戦い』については、番吾の戦いにおいては、原作の768話(70巻)の最後の1コマで秦が大敗することが既に明確になっています。

これまで繰り広げられてきた戦いにおいては、読者が史実を知らなければ、どちらが勝つのか分からない状態で、ハラハラ・ドキドキ・ワクワクしていたのですが、今回は事前に結果が記載されているという珍しい展開だったので、どの様に秦が大敗するかが気になった読者の方が多かったのではないでしょうか。

そんな『番呉の戦い』ですが、記事作成時においては単行本の72巻が最新であり、司馬尚率いる青歌軍が王翦の本陣めがけて爆心中という状況で、間もなくクライマックスを迎えそうな雰囲気ですよね。

一方、週間ヤングジャンプにおいては既に『番呉の戦い』は終わっており、、新たな展開が進んでいます。

ここからは『番呉の戦い』がどういう結末を迎えたのか、『番呉の戦い』の後はどの様に展開していくのかをネタバレ含めて予想していきますので、ネタバレを避けたい方はご注意ください。

番呉の戦いの結末は?

結論としては、王翦の側近である亜光、田里弥を失う大敗で、王翦も命からがら秦に敗走する結果となっています。

勝てる戦いしかしないと言われた王翦が何故ここまで大敗を喫してしまったのか。

相対する趙の天才『李牧』の策がはまったと言えばそうなのですが、一番の理由は青歌から参戦してきた司馬尚の圧倒的な武力とリーダーシップによるものだと捉えています。

そんな『番呉の戦い』の結末に至るまでを少し掘り下げていきたいと思います。

番呉の戦いに至るまで

紀元前232年、前年に六将桓騎を失った秦は1年で体制を整えて、再び趙北部攻略に向けて動き出します。

>>桓騎の最期についてまとめた記事はこちら

そんな『番吾の戦い』において総大将を務めるのは六将第三位の王翦。

副将には同じく六将で第四位の楊端和が趙南部の武上から北上してきます。

更には飛信隊としのぎを削る、王翦の嫡男である王賁が率いる玉鳳と、前回の宜安攻略において、司馬尚の部下である青歌軍の剛将、カン・サロとジ・アガが率いる狼孟軍により分断されて、本軍に合流できなかった、秦北部軍15万も加わり、総勢25万と前回の宜安攻略の倍以上の兵力で臨みます。

対する趙も今回王翦が意表を付いて宜安ではなく、番吾を狙ってくることを想定し、司馬尚本体と狼孟にいたカン・サロ達の青歌軍勢も集結させた総勢30万の軍が宜安から番吾に出陣。

こうして番吾城手前の頭佐平原にて両軍が対峙し、番吾の戦いの幕が切って落とされます。

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番呉の戦いの戦況

『番呉の戦い』においても両軍共に中央軍、右翼、左翼と展開してそれぞれの戦場において戦いが繰り広げられていきます。

キングダムでは一つの戦いで、それぞれの戦況が目まぐるしく入れ替わり描かれていくのも、見ていて『えっ?ここで違う戦局?』『続きが気になるけど、新たな戦局の話も気になる!』と言ったような読者心をくすぐる部分も魅力ですよね。

『番呉の戦い』でその戦局での状況がどう展開していったかについても掘り下げたいと思います。

番呉の戦いで口火を切った飛信隊

口火を切ったのは、王翦から先陣を任された右翼の飛信隊3万。

信を先頭に趙の袁環が率いる宜安軍7万に突撃します。

張りきった信は後ろを顧みず猪突猛進を続け、祟原から戻る様に指示されました。

前年に桓騎を失ってしまった肥下の戦いにおける敗戦の悔しさを早速ぶつけおり、気合がみなぎっている様子が伺えましたね。

そんな飛信隊の突撃に続いて左翼の楊端和軍や中央の亜光軍も動き出して、『番呉の戦い』の戦況が目まぐるしく進んでいきます。

突如現れた李牧が揺動をしかける

両軍にとって主力となる中央軍。

秦は亜光軍と倉央軍に対し、趙はその実力を推し量れていない司馬尚が率いる青歌軍。

そんな青歌軍に対して、王翦軍第一将の亜光軍が青歌軍第二将の楽彰軍に前進していく中で、突如、趙の総大将である李牧が亜光軍の前に姿を現します。

自分をエサに秦将を討ち取る作戦を取った李牧に対して、罠だと理解しつつも、数少ない李牧を取るチャンスと捉えて、亜光が李牧に向かっていきます。

迎え撃つのは宜司平野で飛信隊と楽華連合軍の錐型の陣を見事に受け止めて、蒙恬を切り伏せた楽彰やフーオン。

更には李牧を逃がすために出てきた傅抵の強者三将に囲まれてしまい、亜光の意識が飛びいきなりピンチを迎えます。

李牧の狙いは亜光では無く信だった

朱海平原の戦いにおいても、尭雲と馬南慈という剛将二人に取り囲まれても、暫し耐えしのいだ亜光は囲まれた時に強さ発揮する武将ともいえそうですね。

李牧はこの『番呉の戦い』において、開戦早々にやっかいな存在を消すということ注力していることが描かれ、その後に亜光の前に現れたので、厄介な存在がしぶとい剛将の亜光かと思った方も少なからずいたかと思うのですが、その狙いは亜光では無く『李信』。

これまでの戦いでことごとく李牧の前に立ちはだかり、想定外の力を見せて李牧を悩ませてきた存在の信を最も警戒しており、『番呉の戦い』全体の戦局から信を蚊帳の外にしてみせたのでした。

信を戦局から孤立させる狙いは?

自分がエサとなって秦の中央軍や右翼の陣形を乱しつつ、秦軍で一番危険で厄介な存在と捉えた信を戦局から外した李牧の狙いは何だったのか?

それは、圧倒的武力を持つ趙三大天の司馬尚に王翦を討たせるというもの。

陣形が少し崩れたの中央軍にカンサロ軍や楽彰軍が秦中央軍を押し込む中で、その二軍を助攻として司馬尚軍が主攻となり、二軍の間を抜けて王翦本陣を狙ってものすごい勢いで突き進んで行きます。

司馬尚の武力を推し量れてなかった王翦には、この策が見事にはまり、必至の抵抗を見せる王翦本陣は見事に崩されてしまいます。

開戦初日でのクライマックス

キングダムで描かれてきた主要な戦いで、開戦から半日にして本陣を攻め込まれた戦いが、これまでにあったでしょうか。

唯一、一日で終わったのは、秦と魏の連合軍で楚を攻めた什虎の戦いくらいだと思います。

約30万同士の軍がぶつかりあって、開戦から半日で本陣に迫るということは、如何に李牧の策が見事にはまり、司馬尚の武力が圧倒的かが伺えますよね。

屈強な青歌軍によって討たれた秦将達

圧倒的武力を持つ司馬尚を筆頭に屈強な青歌軍の攻撃を止めるべく、立ちはだかる王翦軍は次々と将を失っていきます。

武力だけなら蒙武級のジ・アガを討ちつつも、相打ちの様な形でジ・アガの最期の一撃をくらった糸凌。(結局は生きていましたが)

田里弥軍の殺し屋と言われた、申赫楽(しんかくがく)や蛇輪公(だりんこう)、そして不死身の千人将である山秀(さんしゅう)もカンサロと司馬尚に討ち取られてしまいます。(山秀は不死身なだけに後々生きていることが判明しましたが)

そして何より痛かったのが、亜光と田里弥の死。

王翦からしたら右腕と脳の一部を取られたような状態ではないでしょうか。

番吾の戦いの結末は?

司馬尚の攻撃で本陣を崩された王翦は敗退を余儀無くされます。

敗走している王翦の首を取らんと包囲網を敷く李牧により、多くの兵を失いながら唯一側近として生き残った倉央に守られ、さらに国境目指して進みますが、更なる追撃でよもや終わりと思えた時に、王賁の命令により脱出経路を作りにきた亜花錦によって、命からがら秦国内に生還します。

総大将敗走の知らせを受けた、飛信隊、玉鳳、楊端和軍はこのままでは、相対する趙軍に加え、中央軍に包囲され、全滅の危機に瀕する前に脱出を試み、大きな犠牲を払いながら秦国へ脱出します。

壁を救出したキタリ

『番呉の戦い』では秦左翼の戦いはそれほど描かれることなく、中央軍敗退となってしまいました。

そん中で秦左翼の一番の話題はキタリ率いるメラ族による壁の救出では無いでしょうか。

宜安攻略において赤麗城に仕込まれた毒により囚人となってしまっていた壁を救出すべく、番呉城を目指して趙右翼を突破し、猿手族と番呉城を落とし、趙軍に包囲されつつある中で、何とか無事に壁を救出しました。

史実での番呉の戦いは?

史記『秦始皇本記』や『趙世家第十三』において、秦が狼孟や番吾を攻略したことが記されていますが、その続きもあり、李牧がその秦軍を撃破して、さらなる追撃として韓や魏の国境付近まで領土を取り戻したという記録があるようです。

ただ、戦いの詳細までは記されていないので、今回キングダムで描かれた番吾の戦いの内容は原先生のオリジナルということになりますね。

韓や魏の国境付近までの領土奪還については描かれることは無かったので、秦が攻略した武上や平陽がどうなったかは定かではありません。

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番吾の戦いその後は?

秦軍の大敗北に終わってしまった『番呉の戦い』

キングダムの世界や史実においてその後はどうなったのか。

どちらにおいても趙に大敗してしまった秦は大きく国力を落としてしまったことで、趙攻略を一旦諦めて、戦国七雄の中での一番の弱小国と言われる韓攻略に向けて動き出します。

2年連続での趙北部攻略において敗北を喫した秦は天才李牧の前に正攻法ではかなわない事を悟ったと思われます。

そこについては史実からも読み解けてきます。

次期丞相である李斯が小国である韓攻略を提案しているようです。

このことは領土を拡大して、既に大国としておそれられた秦が、武の象徴である六大将軍のうち3人を起用しても李牧の前に2回も大敗したことで、秦国の武威失墜を恐れたものと考えられますが、李牧にはかなわないというのが本音では無いかと思います。

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韓攻略はいつ?

韓を攻略するのは史実においては紀元前230年となりますので、『番呉の戦い』から2年後ということになります。

韓攻略に舵を切りなおした昌平君は、六大将軍の騰を総大将に任命します。

そのうえで、飛信隊と羌瘣軍を加えた十六万の軍勢で、極力戦力を削らずに韓を攻略せよとのミッション。

戦わずして勝つという羌瘣の策を採用し、韓王都の国門の様な重要拠点となる南陽を見せかけの兵を使って、圧倒的数的優位をみせつけて無血開城させます。

史記『秦始皇本記』においても騰が韓を攻めたことは記されていますし、韓王を生け捕りにしたことも記されていますが、見方によっては何か大きな戦いは無かったとも見れるのではないでしょうか。

そうみると、韓王に投降を要求し秦に降らせて、どちらも無傷で韓の軍力をそのまま秦軍とし吸収することで、『番呉の戦い』で失われた大きな戦力を回復させて中華統一に向けて新たに進みだすとも予想できそうです。

韓攻略その後に滅びる国は?

韓の次に攻められるのはやはり趙です。

肥下の戦いや番呉の戦いで桓騎や亜光に田里弥などの秦にとって重要な人物を葬ってきた趙を遂に討ち滅ぼす時が来ます。

時は紀元前228年ですから韓を滅ぼしてから2年後の話となります。

あの天才李牧をどうやって打ち破ったのか気になるところかと思いますが、残念ながら李牧は郭開の謀略により処刑されてしまいますし、あの圧倒的武力を誇る司馬尚にしても、李牧と同じように郭開から目を付けられていたので、あわや処刑の可能性もあったのですが更迭されて中山に残っているので、秦軍との最終決戦には参加しません。

最終決戦にはキングダムでも名前だけが登場した趙葱(ちょうそう)が総大将となり、顔聚(がんしゅう)を率いて戦いますが、王翦、楊端和、羌瘣の連合軍によって敗れてしまいます。

キングダムにおいて趙葱(ちょうそう)がどのような武将として描かれるか、羌瘣がどうやって趙王を追い詰めるのかは楽しみに待ちたいと思います。

趙攻略その後に滅びる国は?

趙の李牧がいなくなれば、秦にとって厄介な存在と思える人物は呉鳳明ではないでしょうか。

そんな呉鳳明が第一将となり、魏火龍七師の凱孟や狂戦士の乱美迫を率いる魏軍はこれまた一筋縄ではいかなさそうな相手ですよね。

そんな魏を紀元前225年に滅ぼすのは玉鳳の総大将である王賁。

六十万の兵を率いて魏に侵攻し、最期は魏の王都である大梁に籠城した魏王を水攻めすることで、王都を壊滅状態とし降伏させます。

王賁が洛紫城奪還に向けて黄河を渡っている時に、黄河の流れをみて思うところがあったのは、ここに繋がるのでしょうね。

魏攻略その後に滅びる国は?

韓・趙・魏の三晋を落として国土を広げた秦が次に狙いを定めたのが大国楚です。

楚を滅ぼす前にも燕とひと悶着あり、事実上燕を抑えたも同然の秦は楚を攻略すれば、中華統一は成ったも同然ということで、楚を攻略する準備を始めます。

そこで起きたのが信の失敗。

嬴政が楚を滅ぼすのに必要な兵数を王翦と信に問うた時、慎重派の王翦は六十万と答えたのに対して、血気盛んな信は二十万の軍で十分と回答します。

信の意見が採用されて、蒙恬と共に二十万の軍勢で楚を次々と攻略していきますが、軍総司令/昌平君の裏切りや、楚の大将軍項燕の登場で大敗を喫してしまいます。

信が喫した大敗の後、史実上では嬴政が大激怒し、意見を採用しなかった王翦に詫び、六十万の軍勢を与え、王翦・蒙武連合軍で楚を攻略しています。

キングダムにおいては裏切った昌平君を討伐しにくる蒙武と、蒙武が裏切られることを悟っていた満羽との戦いが繰り広げられて、什虎の戦いの伏線が回収されるということになるのでしょうね。

楚が滅びたのは紀元前223年となります。

楚攻略その後に滅びる国は?

楚攻略後に滅びる国は燕となります。

これまでもキングダムでちょこちょこ名前が出ており、遂にはその姿を1コマだけ見せた燕の太子である丹。

彼は人質として秦にいた際に冷遇されたことを恨み、紀元前227年に嬴政の暗殺をはかるのですが失敗してしまいます。

暗殺されかけた嬴政が怒りを露わにし、翌年の紀元前226年に燕を滅ぼさんと燕に総攻撃を仕掛け、暗殺をたくらんだ丹の首を燕王自ら差し出して和睦を望んでいますので、おおよそここで燕は滅んだも同様の状態でした。

一旦和睦して燕からの憂いを取り払った後に魏と楚を攻略し、その後に弱体化した燕を紀元前222年に滅ぼしています。

最初の総攻撃においては信が王翦と共に燕を攻めて大活躍をし、最期のとどめを王賁がさしています。

最後に滅びる国は斉!

トリを飾るのは秦から一番遠い斉が紀元前221年に滅びます。

秦始皇本記からすると、ここでも総大将は王賁と捉えて良いと思います。

史記 蒙恬列伝からすると、蒙恬も斉の攻撃に参加していることも記されています。

キングダムにおいては斉王が嬴政に対して、嬴政の考え方が変わっていなければ、秦に降ること考えていることを明かしているので、中華統一に向けた最後の戦いが描かれるのかが気になるところです。

史実通りに軍をもって斉を攻め、斉王建を捕らえるとしたら、王賁・蒙恬に加え信も加わって、新しい大将軍としての活躍が描かれるのではないでしょうか。

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まとめ

以上、秦が趙に大敗を喫した『番呉の戦い』の概要やその後の流れについて説明させていただきました。

史実においては『番呉の戦い』の詳細は分かりませんので、キングダムにおける『番呉の戦い』の内容は原先生のオリジナルストーリーで、亜光や田里弥など王翦軍の将達がことごとく討たれて、王翦軍が壊滅状態となる大敗北を喫してしまいました。

史実においては、趙に2年連続で敗れた秦は一旦、趙攻めを諦めて、紀元前230年に弱小国である韓を攻略します。

この点はキングダムにおいても『番呉の戦い』の後に韓攻略に向けて動きだしているので、韓攻略後の流れも史実同様になることは間違い無いと思います。

史実において韓を攻略した秦は、その勢いをもって趙→魏→楚→燕→斉という順番に国を滅ぼしていき、紀元前221年に中華統一を果たします。

どの国を滅ぼすにしても大きな出来事となるので、これからのキングダムからも目が離せませんね。

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コメント

  1. アントラー より:

    最期を迎えるキャラとしては、趙側からエンカンとフーオン、そしてバフウジ及びカイネは血祭りにあげて欲しいところですね。そうすれば、李牧や馬南慈が怒り心頭を発して容赦なく秦側を攻めたてると思いますがね。
    それにしても番吾の戦いって歴史上では何日かかっていたんでしょうか?

    • けいのすけ より:

      アントラー様

      コメントありがとうございます。
      お気持ちお察しいたします。
      フーオンや馬風慈は桓騎の時も秦側からすると厄介な存在でしたからね。
      今回は趙の圧倒的な勝利を考えて、厄介な存在だけど外させて頂きました。

      番吾の戦いは私も専門家では無いので読み込めて無いかもですが、趙世家などからは日数を確認出来ませんでした。
      情報が入れば追記させて頂きます。

      宜しくお願い致します。

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