大人気漫画のキングダムにおいて、圧倒的な武力の誇り、冷静で先見性もあって頭脳明晰でありながら、時折見せるぽわ~んとした和やかな一面も見せて、不動の人気を誇る美女戦士の羌瘣(きょうかい)。
原泰久先生が描くキングダムの世界は歴史上のエピソードに加え、原泰久先生のオリジナルの物語や人物により描かれており、絶大な人気を博していますね。
そんな世界において大人気の羌瘣(きょうかい)が番吾の戦いの大敗の後に将軍に任命されること間違い無しの展開において、そもそも羌瘣が歴史上に実在したのか?将軍だったのか?という疑問をお持ちの方もいらっしゃるかと思います。
そこで今回はキングダムで大人気の羌瘣が実大した将軍なのかについて、歴史上のエピソード含めて紹介させて頂きたいと思います。
以下の構成で進めたいと思いますので、気になる部分からお読み頂ければと思います。
キングダムの羌瘣(きょうかい)は実在した将軍だった?
羌瘣の名は『秦始皇本記』に記されており、その中には『将』という文字も記されているので、キングダムの世界のみではなく、歴史上に実在した人物と言えます。
キングダムの世界では巫舞(みぶ)という剣技を操る、暗殺集団/蚩尤(しゆう)の一族として描かれており、圧倒的な武力と動じない精神力、鋭い軍略を練れる知力を兼ね備えつつ、読者を虜にする可愛らしさを持ったキャラとして描かれていますね。
実在した羌瘣とキングダムで描かれる羌瘣にどれほどのギャップがあるのかも見ていきましょう。
キングダムの羌瘣(きょうかい)は蚩尤(しゆう)として実在した?
キングダムにおける羌瘣といえば、鮮烈なインパクトを放ったのが蛇甘平原での戦いにおいて、尾平が魏軍に取り囲まれた際に放った一撃じゃありませんか?
当時は羌瘣が女性であり、ましてや暗殺世界に君臨する蚩尤とは思いもしませんでしたが、後にその強さの所以が蚩尤であることを知り、蚩尤の存在が一気に広がりましたね。
蚩尤自体は中国神話に出てくる神と言われており、姓が姜(きょう)であるとされています。
また蚩尤は史記においていく戦の神とも考えられており、武器を発明したともいわれています。
そんな蚩尤の容姿は身体が人で顔は角の生えた牛、足は鳥の蹄を持つと言われており、とても人とは言えない容姿であったことが、残された壁画からも見て取れます。
『始皇本記』には羌瘣が蚩尤であることは記載されていませんが、蚩尤の姓が姜(羌瘣の羌とは異なりますが)であったこと、戦の神でありつつ、人とは思えない姿であったことから、圧倒的な強さを持つ蚩尤の羌瘣が生まれ、『あれは人じゃねぇ』というようなセリフもついたのではないでしょうか。
キングダムの羌瘣(きょうかい)は飛信隊の副長として実在した?
初陣を飾った蛇甘平原での戦いにて信と出会い、馬陽の戦いにおいて天下の大将軍である王騎から特殊百人隊を任じられて、隊発足当初より信から勝手に副長を任命されていた羌瘣。
史実でもそうであって欲しいのですが、残念ながら史実において羌瘣が飛信隊に属していたという記録はありません。
もとより、飛信隊の存在も原泰久先生が描かれる世界での話となりますので、飛信隊自体が史実において実在していなかったと言えます。
当然、もう一人の渕さんの記録もありません。
キングダムの羌瘣(きょうかい)は女性として実在した?
キングダムの世界では架空のキャラクターも多い中で、羌瘣については史実に記録が残っているのですが、年齢や性別について明らかに記されている部分が無いので、女性であったというのは原泰久先生の設定であると言えそうですね。
まぁ、戦国時代という過酷な時代の中で、史実にも名を残す様な将軍であれば、男性である可能性は高そうですよね。
大人気キャラとして定着している女剣士の羌瘣だけに、今更、屈強な肉体で厳つい顔した無骨な将軍である羌瘣というイメージを持ちにくいと感じています。
ただ、男であったという記録も無いので、女性であった確率がゼロという訳では無いので、個人的には羌瘣はこのまま可愛らしい女性将軍ということで突っ走りたいと思います。
羌瘣(きょうかい)の歴史上とキングダムでのエピソードは?
羌瘣が実在したのは史実においても確認が取れていますが、先に述べたように、羌瘣の詳細情報については確認できていません。
その中で羌瘣が歴史上においてどの様な活躍をしエピソードとして残っているのか、そのエピソードがキングダムの世界の活躍ぶりと一致しているかについても見ていきましょう。
記事作成時点ではキングダムの世界で描かれていない部分の話にも触れますので、ネタバレとなってしまう部分があることをご了承ください。
それではいってみましょう。
羌瘣(きょうかい)の気になるエピソード/嬴政暗殺
蛇甘平原の戦いの後に、姉羌象の仇である幽連のいる趙に向かうために、呂不韋に雇われて大王である嬴政の暗殺に加担する羌瘣。
こちらについても史実で羌瘣が始皇帝である嬴政の暗殺に加担したという記録はありません。
時代背景は異なりますが、蚩尤が黄帝から王座を奪おうとして、乱を起こし黄帝と戦ったという記録があるようなので、このエピソードより、始皇帝である嬴政暗殺というキングダムの世界におけるエピソードが出来たのではないでしょうか。
羌瘣(きょうかい)の気になるエピソード/山陽の戦いで介子坊兵を殲滅
キングダムの世界において、初めて羌瘣に死亡フラグが立ったと感じた、山陽の戦いにおける介子坊軍との戦い。
傷を負った羌瘣がいつもの実力を発揮できる状態ではない中で、傷を負った兵士を集めた予備隊に向かって突如現れた、介子坊の兵で固められた重量級兵士の集団。
圧倒的な破壊力を持つ集団に、あの羌瘣ですら浮かべた焦りの表情に何やら嫌な予感を感じた方は多かったのではないでしょうか。
結果は介子坊の兵達を圧倒的な武力で殲滅してしまう羌瘣で事なきを得た羌瘣でしたが、信が現れると力尽き気を失ってしまった伝説のシーン。
当然ながら歴史上のエピソードとして、そこまで詳しく記されたものはありません。
羌瘣(きょうかい)の気になるエピソード/武神龐煖との戦い
馬陽の戦いで初めて武神龐煖と戦い、その後は鄴攻略の際の朱海平原での戦いにおいて、2度目の死闘を繰り広げた羌瘣。
ここでも羌瘣の死亡フラグが立った有名なエピソードですが、歴史上ではこのエピソードは残っていません。
当然ながら、息をしていない信を蘇らせるというような記録もありません。
キングダムの世界にて死人を蘇らせるという、これまでになりスピリチュアルな展開となった時はなぜ?って思いましたが、蚩尤が神であると伝えられているエピソードからすると、神がかった儀式として取り沙汰されたのかもしれませんね。
羌瘣(きょうかい)の気になるエピソード/信との結婚
番呉の戦いという大きな戦を前に信からプロポーズされた羌瘣。
既にお分かりでしょうが、女性という記録が残っていない羌瘣が信と結婚するという話は、歴史上にはなく、キングダムでのエピソードということになりますね。
キングダムの世界においても、この番呉の戦いは秦が大敗するということは事前に説明があったため、このプロポーズという幸せな状況にも関わらず、羌瘣が信のプロポーズを拒んだということで、この段階で羌瘣に死亡フラグが立ったとキングダムファン界隈では騒がれましたね。
羌瘣(きょうかい)の気になるエピソード/趙を滅ぼす
引っ張りすぎましたが、羌瘣の歴史上のエピソードはこの部分しか無いのです。
『秦始皇本記』においては紀元前229年に王翦、楊端和、羌瘣の3将軍にて趙を攻めこみ、羌瘣が趙を伐つとあります。
また翌年の紀元前228年に今度は燕を攻めるために、王翦と羌瘣が中山という場所に終結したことが記されています。
ただ、その後に羌瘣が燕を滅ぼしたと記された記録は無く、今度は李信が燕を攻略していくのです。
キングダムの世界においては将軍となった羌瘣軍と信の軍である本家飛信隊との連合軍で、趙攻略や燕攻略が描かれていくのではないでしょうか。
まとめ
以上、大人気漫画のキングダムにおける大人気キャラの羌瘣が歴史上で実在した将軍だったのか、また実在した将軍はどのような功績を残したかについて、漫画キングダムでのエピソードも含めて紹介さっせていただきました。
まとめとしては以下です。
原泰久先生のキングダムの世界において、オリジナルストーリーと史実の部分がどう融合していき、羌瘣が今後どの様な活躍をするかは楽しみですね。
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