爽やかなルックスとフランクな性格で、おバカな信や気難しい王賁とも上手に付き合える人当たりの良さを持ちつつ、ゆるい雰囲気で女性からも大人気のキャラとして描かれている蒙恬。
一方、昌平君の軍師養成所を異例の速さで卒業し、知将王翦にもその高い戦術眼を評価されるという、クレバーな要素もみせる蒙恬には王賁ほどではありませんが、時々死亡フラグが立って、その度にヒヤヒヤさせられる蒙恬ファンも多いのではないでしょうか。
そこで今回はキングダムで大人気の蒙恬の最期がどうなるのか、死亡理由や時期がいつなのかについて紹介させていただきます。
当然、史実をもとにしている部分があるので、今後のネタバレに繋がることはご了承ください。
以下の構成で進めたいと思いますので、気になる部分からお読み頂ければと思います。
キングダムで蒙恬の最期はどうなる?
史実上、蒙恬の最期は自害となっていますが、原泰久先生が描くキングダムにおいて、蒙恬が最期に焦点を当てた話は無いのではないかと思っています。
なぜなら、蒙恬は秦が中華統一を果たした後も、秦王朝に貢献しており、キングダムの最終回が秦の中華統一で終わると予想しているので、中華統一後に最期の時を迎える蒙恬の話には至らないと考えているからです。
蒙恬の最期を知りたい人にとっては残念な結果、蒙恬の最期なんか見たくないという蒙恬ファンにとっては嬉しい結果という感じになるのではないでしょうか。
ただ、中華統一という夢を果たした後に、回顧シーンとして主要なキャラがどうなったを説明するシーンんがあってもおかしくないと思っているので、その際に蒙恬の笑顔と一緒にコメントにて蒙恬の最期が記される可能性があるとも考えています。
キングダムで蒙恬の最期が描かれるのはいつ頃?
では、仮にキングダムにて中華統一後に蒙恬の最期についてコメントで説明があるとすればいつ頃になりそうかというのは、キングダムの最終回やその数話前の話になると予想しています。
2024年6月時点では連載開始から18年が経過し、史実上では13年しか経過していないことを考えると、キングダムの最終回はまだまだ先の話だと予想しており、その時期は2037年1月頃になるのでは無いかと考えています。
蒙恬が最期を迎える場所はどこ?
キングダムの世界において、独立遊軍である楽華軍を率いる蒙恬は、魏や楚の国境付近の秦の南東側にいるイメージが強いですが、最後を迎える時は真逆となる北部の上群(現在の陝西省)にいます。
中華統一を果たした政は権力のみでなく、命までも未来永劫を望むようになり、不老不死の薬を探すことに注力していました。
その際に不老不死の薬を探すためには莫大な資産が必要と説き、その資産を持って失踪した徐福という配下を見つけ出すために尽力していた盧生が、「秦を滅ぼすのは胡(匈奴)」と記された予言書を持ち帰ったことにより、胡(匈奴)の侵攻を防ぐための『万里の長城』建設及び匈奴討伐のため蒙恬に30万の軍勢を与えて北方の地である上群に向かわせるのです。
また、政の長男である扶蘇が儒者を生き埋めにした政を諫めたことで、政の怒りを買い咸陽から上群に左遷された扶蘇の世話役としても上群ににて生涯を閉じるのでした。
蒙恬が最期を迎える時の秦王は誰?
キングダムにおいては蒙恬は主人公の信より1つ年上ということで、秦王である政と同じ歳になっています。
同世代の信、王賁との3人で同じ歳の政の夢に向かって貢献する蒙恬は、中華統一後も政の信頼が厚いことが、北の匈奴対策を任されたことからも伺えます。
政と共に設立した秦王朝の発展に向けて進んでいきますが、政は不老不死の薬に憑りつかれてしまったため、体に良くないものまでも口にしてしまうことで、その寿命を縮めてしまうという皮肉な結果となり、50歳にしてその生涯を閉じます。
この時点では蒙恬はまだ健在であり、二世皇帝に仕えます。
その二世皇帝は上群で世話役を仰せつかった政の長男である扶蘇では無く、末子の胡亥となります。
この胡亥と当時の権力者により蒙恬の最期となる悲劇や秦王朝の崩壊につながってしまうのです。
蒙恬が最期を迎える時の権力者は誰?
蒙恬が最期を迎える出来事が起きた時の権力者は二世皇帝を操った2人の人物となります。
1人はキングダムでも良く登場する、呂氏四柱の1人でもあった法家の李斯。
この時、李斯は左丞相として秦王朝に仕え、秦王朝の権力が咸陽中心に集め、そこから群や県を中央の官吏によって統治するという郡県制を敷いたり、法治国家とするために思想に反対する儒家の弾圧にも力を入れ、約460人ほどの儒家が生埋めにされるという、秦王朝の汚点の1つでもある『焚書坑儒』を生み出します。
李斯の理路整然と物事を捉え発信する姿は史実でも記されており、キングダムの世界でもその様な姿が見て取れますが、この残虐さは呂不韋に仕えていた時代に暗殺に力を入れていたところで描かれているのかもしれませんね。
そしてもう1人の権力者が宦官の趙高です。
ん?と思った方もいらっしゃいますよね。
宦官の趙高といえば、キングダムにおいても既に登場しており、政の母親である太后お気に入りの宦官です。
あいこくの反乱が失敗に終わった際に僻地の蜀に幽閉された趙高ですが、史実においても秦国にどのようにして仕えたかが不明であったり、そもそも宦官では無かったのではという説もあるため、キングダムにおいて島流しとなった趙高がどのように描かれるかは不明です。(そもそも描かれないと予想していますが)
この2人が秦王朝の権力を牛耳って、二世皇帝をその手中で操ることで、己の権力を保持しようと暗躍することで蒙恬の最期に繋がるのです。
蒙恬が最期を迎える時は天下の大将軍だった?
キングダムの世界において蒙恬は千人将の位にありながら三百将として楽華隊を率いて登場するので、根っから武人であるように見えますが、史実『蒙恬列伝』においては若き頃は刑法を扱う文官で、将軍となったのは紀元前221年の斉攻略の際と記されているので、若干、キングダムの世界とは異なる部分がありそうです。
蒙恬はその後も政の期待は厚く、万里の長城を築きつつ匈奴を討伐し、河南の地を平定していることからも秦への貢献度が高いことから、最期の時を迎える時は天下の大将軍であったことが推測されます。
2024年6月段階での六大将軍は蒙武・謄・王翦・楊端和の4人で残りは2席ですが、中華統一を果たした後は王翦が引退し、残りの席が3席になって、信や王賁と一緒に中華統一に貢献した将軍として六大将軍に任命されるのでは無いかと予想しています。
蒙恬の死亡理由や死亡時期はいつ?
これまで説明させて頂いた内容は、蒙恬の死亡理由や時期に関係する内容となってました。
蒙恬の死亡理由(要因)は二世皇帝/胡亥、宦官/趙高、左丞相/李斯によるものです。
中華全土に皇帝の威を振るう為に各地を巡行していた政ですが、不老不死の薬のせいか途中で体調が悪くなった政は療養すべく咸陽に戻ろうとするのですが、その途中で息絶えてしまいます。
政の死が中華全土に知れ渡ってしまうと、ここぞとばかりに反旗をひるがえす者が出てくることを危惧した趙高は、暫く政の喪を伏せてしまいます。
また、趙高は次の皇帝は長男扶蘇とする遺書を預かっておりましたが、扶蘇の世話役であり側近の大将軍である蒙恬が咸陽に戻り、二代目秦王朝の実験を握ることを恐れます。
そこで趙高は権力に固執する李斯と手を組み、手玉に取りやすい若き胡亥に対して、扶蘇が皇帝となれば胡亥は排除され自由の利かない身分となるというような戯言で胡亥を脅し、政の遺書を改ざんしてしまい、蒙恬を排除しようと企んだことで蒙恬は死亡してしまうのです。
蒙恬が死亡する理由は何?
そんな趙高と李斯の企てにより最期を迎えてしまう蒙恬の死亡理由は『謀反の疑い』
長男扶蘇が皇帝の座につかないよう遺書を改ざんした趙高は、上群にて領土拡大もせずに、秦王朝の政治批判をしたとのことから自害するような勅使をもって、扶蘇を抹殺し胡亥が皇帝につくようにします。
この時点ではまだ万里の長城建設が完工していなかったことから、一旦は蒙恬へのお咎めは保留という形になりますが、その後も趙高は政や扶蘇からの信頼の厚かった臣を次々と粛清していきます。
そこで蒙恬も粛清対象となり、30万の軍を預かる大将軍蒙恬が扶蘇の自害を不服とし、謀反を企んでいるとの罪をかぶせてしまうのです。
蒙恬は裏切って死亡する?
完全に卑怯者の趙高に濡れ衣を着せられた秦王朝設立の立役者である蒙恬。
これまで秦の中華統一に向けて祖父である蒙驁大将軍、父であり六大将軍筆頭でもある蒙武の血を継ぐ蒙恬大将軍はこのまま汚名を着せられたまま最期の時を迎えるのか?
個人的な希望としてはそんな腐りかけた秦王朝を裏切って、本当に謀反を起こしてもらいたいくらいです。
しかし、蒙恬は先帝の政には弓を引けないと忠義を心をもって対応します。
ただ、趙高の企てには納得できないため、この企ての発案者である趙高が後に秦に災いをもたらすことと自分が無実であることを強く使者に訴えましたが、趙高の手先であるその使者は蒙恬の言葉は胡亥には届かないと伝えたことにより、蒙恬も最後は諦めて命じられた自害に対応するために毒を飲んで自殺するのでした。
毒を飲むことが謀反の罪を認めたものではなく、自分の罪が万里の長城を築き大陸を遮断してしまったことだと言った蒙恬は、悪に屈しない強い正義感をもちつつ、どこか万里の長城の工事において人民に鞭を打って働かせたことに罪悪感を感じていたような気がします。
蒙恬が死亡する時期はいつ?
キングダムでも大人気で史実においても忠義な漢である蒙恬が死亡した時期は始皇帝が亡くなった年の紀元前210年とされているようです。
そう考えると始皇帝が亡くなってからの趙高の企ては電光石火であったとしか言いようが無いかと思います。
まとめ
以上、漫画キングダムの世界においてはイケメンでフランクな性格を持ちつつ、高い戦術眼を持つことで人気の蒙恬の最期について紹介させて頂きました。
蒙恬が最期を迎える時期は紀元前210年と言われており、秦が中華統一を果たした後の話となるので、漫画キングダムにおいては、蒙恬の最期については最終回の回顧シーンの様な形で描かれることを期待しています。
中華統一に信や王賁とともに大活躍する蒙恬が宦官の趙高や左丞相となる李斯の企みで自害に追い込まれることは非常に悲しい結末ですね。
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