キングダム王翦の最後はどうなる?死亡年齢が史実にあるかも調査!

キングダム
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趙の新旧三大天である李牧と廉頗、秦の旧六大将軍筆頭の白起に並んで、戦国四大名将の一人である王翦。

大人気漫画キングダムにおいては、自分が王になることを考えているという野心家、勝てる戦以外はしないという慎重な策略家、鉄仮面でその素顔を隠し我が子である王賁に愛情を示さない冷血無比な父親というイメージで描かれていますね。

番吾の戦いでは初めての敗戦を味わい、命からがら退散した王翦がどんな最期を迎えるのかが気になっている方も少なくないのではないでしょうか。

そこで今回は王翦の最期がどうなるのか、大人気漫画キングダムにおいて王翦の最期が描かれるのか、王翦の死亡年齢が史実に記されているのかなどについて調査した結果をお伝えしたいと思います。

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以下の構成で進めたいと思いますので、気になる部分からお読み頂ければと思います。

キングダム王翦の最後はどうなる?死亡年齢が史実にあるかも調査!

キングダムで王翦の最後がどう描かれるのかは、本記事作成段階では分かっていないので、あくまでも予想となることをご了承ください。

秦の六大将軍の一人である王翦。

キングダムでは秦のみならず、敵国である趙や魏、楚においても多くのキャラクターが描かれており、中には史実に登場しないキャラクターもおり、王翦が架空の人物なのでは?と思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、安心してください、王翦は史実に登場している人物です。

キングダムのストーリーは史実にベースに描かれる中で、史実に記されていない細かい設定を含めて、原泰久先生独自のストーリーが描かれるので、史実に沿いつつ、キングダムのゴールも想像しながら、王翦の最後を予想していきたいと思います。

キングダムで王翦の最後は描かれる?

そもそも、キングダムに王翦の最後が描かれない可能性があります。

なぜなら、キングダムの主人公は信であり、ストーリーとしては秦王である政が中華統一を目指す中で、信が天下の大将軍になる夢に向かって進んでいくというもの。

ゴールが信の夢である天下の大将軍、政の夢である中華統一であれば、王翦の最期は描かれないと思いってます。

ん?ということは?

と勘の良い方はお分かりかと思いますが、秦は中華統一を果たす時に王翦が最期の時を迎えた可能性が非常に低いと考えているからです。

秦が中華統一を果たすのは紀元前221年の話で、史実においては、その年の2年前にあたる紀元前233年に王翦が活躍した記録が残っていることを考えると、その間に王翦が最期を迎えたという可能性は非常に低いと考えられそうです。

と言ってしまうと、ここで話が終わるので、キングダムにて王翦の最期が描かれるとしたらということで話を進めさせていただきますw

キングダムで王翦の最後はいつ頃公開される?

先ほどキングダムでは王翦の最期は描かれないと予想していると言っときながらですが、期待を込めて予想すると、王翦の最期はキングダムの最終話でコメントにて描かれるのでは無いかと考えています。

キングダムの最終話としては中華統一を果たした政が始皇帝としてどの様に秦を築き、そして次なる漢の時代に突入したかをコメントにて説明してくれるのではないかと思っています。

その中で主人公の信はもとより、中華統一まで生き残った主要な人物の最期について語られるのでは無いかと思っています。

いわゆるコメ死になるのではないかと。

時期的には勝手な予想ですが、2037年1月がキングダム最終回になると考えています。

>>キングダムの最終回を予想した記事はこちら

王翦最後の戦いは?

キングダムの主人公は信ですが、秦の中華統一にもっとも活躍・貢献したのは王翦と言っても過言ではないと思います。

そんな王翦が秦の中華統一を果たすきっかけとなる最後の戦いは紀元前222年の楚を滅亡させた戦いです。

そこを語る前に、そこに至るまでの2つの戦いについてみてみましょう。

紀元前225年/李信の大敗した城父の戦い

秦国は紀元前225年に魏を滅亡させ、大国である楚を滅亡させれば中華統一もなったも同然ということで、秦王政は楚攻略に向けて動き出します。

その際に政が相談した武将は当時波に乗っていた、キングダムの主人公である信と王翦の二人。

政は楚攻略に向けて必要な兵力を二人に聞いた際に、血気盛んな李信は20万、慎重派の王翦は60万と答えます。

この史実があったからこそ、キングダムにおいて向こう見ずのおバカキャラ信が生まれたのだと思っちゃいますよね。

60万の大軍となると秦国の兵力のほとんどを占める数値に対し、史実上で政は王翦が老いて怯えており、李信は強く勇気もあるという様な評価を下し、李信に兵20万を預け蒙恬と共に楚を攻略する様に命じます。

この政の判断により史実上では王翦が病と称し隠居してしまうのです。

キングダムにおいてはこの60万人という莫大な兵力を要求したことが独立国を興すための計画であると、李斯や昌文君が反対するのかもしれませんね。

李信と蒙恬は軍を二つに分け、李信は平輿、蒙恬は寝丘にて楚軍に勝利し、更に快進撃を続け勢いに乗じて楚の首都周辺までも制圧していきます。

そんな二人を待ち受けたのが楚の大将軍でありラスボスの項燕。

三日三晩徹底して秦軍を追跡した項燕の奇襲により、李信や蒙恬は2か所の塁壁を突破されて、7人に将を失うほどの大打撃を受けて敗走せざるを得ないほどの窮地に陥ります。

この城父の戦いにおいて、楚平定どころか秦国の存亡の危機にかかわる大敗を喫してしまいます。

この戦がキングダムにおいてどの様に描かれるかは楽しみですね。

紀元前224年/60万の兵を率いた王翦が楚王を捕らえる

李信が大敗を喫した城父の戦いに憤慨した政は、楚攻略に必要な兵が60万と発言した王翦を侮辱した事を詫びて、楚を攻略できるのは王翦しかおらず復帰する様に依頼します。

王翦の言葉を信じず辱めを受けた王翦からすると『はい、喜んで!』とはいきませんよね。

六大将軍という立場で趙平定を含め多大な功績を残した王翦は一旦は政の依頼を断りますが、一度決めたら引かない政は再度王翦に詫びて、楚攻略に向けた総大将となることをお願いします。

王翦はそれならば、当初の計画通りに60万の兵が必要であることを説くと共に、楚を攻略した褒美として子孫に残すための田んぼや豪邸を要求します。

中華統一を果たすためには王翦の力が必要である政はそれを受け入れて、60万の兵を王翦に預けたうえに、出陣の際には灞上まで王翦を見送ります。

キングダムにおいてはこのシーンを王騎が馬陽に向けて出陣する時を思い出させるような描き方をしてくれると期待しています。

この先をキングダムでどの様に描かれるのかも楽しみなのですが、史実において出陣した王翦は敵と相対する前に、途中に通過する函谷関でも政に対して5回も伝者を送り、楚攻略の褒美である土地の要求を行います。

史記においては政は懐疑心が強く、気に入らない者に対しては容赦ない非道な人物だったため、王翦は自分に独立するつもりが無く、褒美のためなら秦王に忠誠を尽くすという姿を見せた方が得策であることを説いています。

この史記があればこそキングダムにて、王翦が野心家であり何を考えているかが分からないというキャラクターが生まれたのだと思いますす。

この戦いにおいて、王翦は項燕率いる楚軍に真っ向勝負を仕掛けても、それなりの被害を被ると判断し、山城を築城して楚軍に対して防戦一方の展開を見せます。

ここでキングダムにおける山陽の戦いや合従軍戦での山城築城の伏線が回収されるのです。

山城にて防戦する中で山城内に水を引き、食料も底を突くことも、兵士の士気を下げることなく、1年の時を過ぎる頃には、楚軍内にてここで兵力を削られ滞在する意味合いも無いという反発が芽生えて、大将軍項燕は軍を都に向かって退けます。

これこそが常勝将軍である王翦の作戦。

撤退する楚軍を見て機が熟したとばかりに楚軍の背後を60万人の兵にて襲撃します。

城父の戦いとは逆の立場となって奇襲を受けた項燕は60万の王翦軍の奇襲に耐えられず、甚大な被害を被りながら敗走していきます。

波に乗る王翦軍はそのまま快進撃を続け、遂には楚王である負芻(ふすう)を捕虜とすることに成功します。

慎重で緻密な戦略を立てる王翦ならでは快進撃もキングダムでどう描かれるかが楽しみですね。

紀元前223年/王翦最後の戦いで楚を滅亡に追い込む

秦軍が王翦の活躍により楚王を捕らえたら楚が滅亡するのでは?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、ここで一大事件が起きます。

それは長らく前だったので忘れてしまっている方もいらっしゃるかもしれませんが、キングダムの什虎城の戦いにおいて蒙武に放った満羽の意味深な発言。(60巻657話)

蒙武と昌平君の間で何が起きそうか予感がここで回収されます。

それは・・・・

これから衝撃の事実をお伝えするので、ネタバレを回避したい方は下のボタンをクリックして、次の見出しにジャンプしてください。

それでは気になる衝撃の事実を含めて王翦最後の戦いを説明を続けます。

楚王である負芻(ふすう)を捕らえられてしまった楚は代理の王を立てて国の存亡に備えるように項燕が動きます。

その動きが衝撃の展開で、もともと楚出身であり楚の公子であった昌平君を楚王とするというもの。

これが紀元前224年の話です。

昌平君は元の楚王であった考烈王と秦の昭襄王の娘との子であったこと、60万の兵が必要と進言した王翦を政が侮辱した際に王翦を擁護したことで右丞相を罷免されたと言われており、そのことから項燕の誘いに乗じたと思われます。

これをキングダムで史実通りに描こうとすると、合従軍戦で蕞に赴き不眠不休で民兵を鼓舞したり、戦いの後にも民兵を労ったり、『人の本質は光だ』と言っていた、偉大なる王のイメージが崩れるので、昌平君を更迭した流れや、昌平君がどんな気持ちで楚王となったのかが、今から楽しみで仕方ありません。

話がそれてしまいましたが、そんな楚に対して王翦は最強の敵となる昌平君&項燕のWラスボスに蒙武とこれまでなかった連合軍で臨みます。

その戦いの詳細は史実では詳しく語られていませんが、秦軍が勝利し楚が滅亡することが分かります。

この戦いはキングダムにおいていろんな伏線を回収することになるので、楚滅亡に向けた最終章はこれまでの最長シーズンの鄴の戦いを超える大作になるのではないかと思っています。

王翦は最後に国を興して王となる?

最後の戦いを終え広大な土地を手にする王翦。

キングダムにおいては独立国家建立を企んでいると噂されていることもあって、秦に反旗をひるがえすのかが気になりませんか?

史実においては反旗をひるがえすどころか、政に対しては慎重なほどに、自分が目指すものは秦王に仕え褒美を得ることを示しており、息子の王賁や孫の王離が秦に尽くしています。

また、秦始皇本記には楚を滅ぼし、会稽郡を置いてから天子より飲食を賜り、民が喜び合って酒宴を楽しんだことが記されています。

そこを加味するとキングダムで王翦が目指す独立国家とは、秦に滅ぼされ恨みを持つ人間達が秦に対して反旗をひるがえさない様に、自分を王と崇めさせ、王翦軍団として平和に暮らせる様な国造りを考えていたのかもしれませんね。

亜光に対し自分のことが不器用であると伝えたのは、そういう自分の考えを上手く伝えられずに誤解を受けていたという可能性も無きにしもあらずだと思えてきます。

キングダムで王翦は最後に仮面を外す?

キングダムの世界では、バジオウや乱美迫にヨコヨコなど、顔バレしないキャラクターが複数存在します。

王翦も完全ではないですが、あの仮面舞踏会で使われるような鉄仮面で素顔が完全にわからないので、その仮面の下のお顔を拝見してみたくなりますよね。

合従軍戦の夜に王翦が仮面を外しているシーンがありましたが、後ろ姿だけだったので、当然ながらそのお顔を拝むことはできませんでした。

そんな、王翦の素顔を拝めるチャンスは2回あると思っています。

1つは60万の兵を要求し断られたことで引退した後に、政が王翦に復活を望むシーン。

隠居していた王翦はもう戦にでることは無いので仮面を外して穏やかに生活しています。

とある回で誰だかわからない人物が描かれて、政が突如現れて詫びを入れるところから始まり、話が進んでいくとそれば王翦だったということが判明するのではないでしょうか。

そして政の頼みを引き受ける際に再び鉄仮面を付けて出陣するという涙が出そうなシーンを原泰久先生が描いてくれることを大いに期待しています。

もう1つは最終回の回顧シーンで鉄仮面を外し生涯を終えた王翦が回顧シーンで見られるというものを予想しています。

王翦の死亡年齢は史実にある?

史実において王翦の活躍が秦始皇本記や白起・王翦列伝に記されますが、死亡に関する内容が記されているのは見つけきれませんでした。

またウィキペディアでも王翦の死亡に関する記載はないことから、王翦は戦で最期の時を迎えたのではなく、最後の戦いを終えて穏やかに余生を過ごし、天寿をまっとうしたのではないかと思います。

60万の兵を進言して断られた際に一度引退していることを考えると、その年の紀元前225年では50歳を超えていた可能性が高いのではないかと思います。

また最後の戦いとなった紀元前223年の翌年222年で会稽郡を置き酒宴を楽しんだという記録を最期に王翦が史実で記されることは見つけられなかったので、そこから天寿を全うしたと考えると遥か昔の時代なので長寿としても60歳~70歳くらいが王翦の死亡年齢だと考えられるのではないでしょうか。

まとめ

以上、キングダムでも大人気の戦国四大名将の一人である王翦の最期がどうなるか、史実において王翦の死亡年連が記されているのか調査した結果に踏まえて、個人的な予想を説明させていただきました。

史実における王翦の最後の記録は紀元前222年の楚を滅亡させ会稽郡を置いて酒宴を楽しんだ記録であり、戦において命を落とした記録はありません。

よって、王翦は秦が中華統一を果たした後に天寿を全うしたのではないかと予想できそうです。

また、その死亡年齢についても記録がないのですが、紀元前225年に一度隠居した記録があることから、その時点で隠居するほどの年であったことを考えると、記録が途絶えた紀元前222年以降に天寿を全うしたとして場合、その死亡年齢は60~70歳だったのではないかと考えることもできそうです。

人気漫画キングダムにおいて、今後王翦の最後をどのように描かれるかが非常に楽しみです。

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